災害により被災された方々、ご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
令和2年7月19日~22日 DMATロジスティックチーム要員 1名(看護師)が、本部運営支援や避難所アセスメントを行いました。
平成30年7月豪雨災害の被災地救援のため、救護班を派遣しました。
7月15日〜7月21日 日赤災害医療コーディネートチーム 4名(医師、看護師、薬剤師、事務)が、県や医療保健関係機関との活動連携を行いました。
7月24日〜7月27日 救護班1班 8名(医師、看護師、薬剤師、事務)が、岡山県総社市下原地区で巡回診療等救護活動を行いました。
6月29日に発生した竜巻の被害地域の医療支援のため、救護班を派遣しました。
6月29日 救護班1班 3名(医師、看護師、事務)が、被害地域の情報収集を実施しました。
6月30日 救護班1班を米原市災害対策本部へ派遣。米原市の保健師を帯同し、被災地避難所及び各戸を巡回しました。
6月18日に発生した地震による被害地域救援のため、救護班を派遣しました。
6月18日~6月19日 救護班1班 4名(医師、看護師、薬剤師)を、三島救命センターに派遣し国立循環器病センターからの転院搬送等の救護活動を行いました。
6月21日 救護班1班 5名(医師、看護師、事務) を茨木市保健医療センターへ派遣。同市内の避難所アセスメント調査を行いました。
平成30年度 大阪北部地震災害におけるDMAT・救護班派遣報告
4月16日に発生した熊本地震の被災地救援のため、救護班を派遣しました。
4月16日〜4月20日 第1班 8名(医師、看護師、薬剤師、臨床工学技士)が、御船町地区、益城町、甲佐町地区などで救護活動を行いました。
4月26日〜4月30日 第2班 6名(医師、看護師、薬剤師、事務)が、南阿蘇地区で救護活動を行いました。
班 | 派遣先 | 活動期間 | 派遣人員 | ||||
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医師 | 看護師 | 薬剤師 | コメディカル | 事務 | |||
第1班 | 御船町地区、益城町、甲佐町地区 | 4月16日~20日 | 3名 | 3名 | 1名 | 1名 | |
第2班 | 南阿蘇地区 | 4月26日~30日 | 1名 | 3名(助産師含) | 1名 | 1名 |
班 | 派遣先 | 活動期間 | 派遣人員 |
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第3クール | 熊本赤十字病院 | 4月29日~5日 | 看護師1名 |
第4クール | 熊本赤十字病院 | 5月3日~9日 | 看護師1名 |
第5クール | 熊本赤十字病院 | 5月7日~13日 | 看護師1名 |
班 | 派遣先 | 活動期間 | 派遣人員 |
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第8班 | 熊本赤十字病院 | 5月24日~30日 | 看護師2名 |
3月11日に発生した東日本大震災の被災地救援のため、救護班を派遣しました。
福島市、会津若松市周辺の救護所で救護活動を行い、岩手県にこころのケア要員を派遣、石巻赤十字病院に病院支援要員を派遣しました。
班 | 派遣先 | 活動期間 | 派遣人員 | ||
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医師 | 看護師 | その他 | |||
第1班 | 福島県相馬市、川俣町 | 3月11日~14日 | 2名 | 3名 | 2名 |
第2班 | 福島県福島市 | 3月15日~17日 | 2名 | 3名 | 2名 |
第3班 | 福島県会津若松地区 | 3月19日~22日 | 2名 | 3名 | 2名 |
第4班 | 福島県会津若松地区 | 3月23日~26日 | 1名 | 3名 | 2名 |
第5班 | 福島県会津若松地区 | 3月27日~30日 | 2名 | 3名 | 2名 |
DVT班 | 福島県会津若松地区 | 4月2日~6日 | 2名 | 1名 | 3名 |
第7班 | 福島県会津若松地区 | 4月8日~12日 | 2名 | 3名 | 3名 |
班 | 派遣先 | 活動期間 | 派遣人員 | |
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看護師 | その他 | |||
こころのケア要員 | 岩手県山田町 | 5月10日~14日 | 2名 | 1名 |
こころのケア要員 | 岩手県宮古市 | 6月19日~24日 | 2名 | 1名 |
派遣先 | 派遣期間 | 職種 | 活動内容 |
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石巻赤十字病院 | 4月9日~14日 | 看護師 1名 | ER支援 |
石巻赤十字病院 | 4月14日~19日 | 助産師 1名 | 病棟支援 |
石巻赤十字病院 | 4月18日~24日 | 薬剤師 1名 | 薬局支援 |
石巻赤十字病院 | 4月18日~24日 | 臨床工学技士 1名 | 透析支援 |
石巻赤十字病院 | 4月24日~29日 | 看護師 2名 | 病棟支援 |
2003年5月22日、アルジェリア国(人口3113万人)の首都アルジェ東方60kmのブーメルデス県でマグニチュード6.7の地震が発生し死者2266名、負傷10000名以上、被災者8万人以上の被害がでた。日本政府は国際緊急援助(JDR)として救助チーム次いで医療チームを派遣した。救助チーム約60人で、そのうち医療チームは医師4名、看護師7名、救急救命士2名、薬剤師1名、業務調整員7名の総勢22名が選抜された。
23日に到着し同日深夜に瓦礫の中から約52時間ぶりに1名を救出。26日午後には最も被害の大きい震源地のゼムリ市に到着。翌27日には被災民が集結するサッカースタジアム内に診療テント5張りを開設し午後から診療を開始した。同日夜、マグニチュード5.8の最大余震を被災民と共に体験し目前でビルが倒壊するのを目撃した。被害の拡大が予想されたために、かつて治安上の問題から回避されていた被災現場での夜間診療を日本大使館の全面的協力を得て初めて実施した。夜間の移動には防弾装備の車両と銃を持った護衛がついた。
この日は地元警官2名がテロリストに殺害されたとの報道もあり、後日我々を震撼させた。この夜間診療は結果的に周辺8000人の被災民とアルジェリア人医師たちの信頼を得た。
12日間の滞在期間中のべ1628名の患者で最も多かったのは地震と余震による精神的不安に腹痛や腰背部痛などを訴えるものであり、ジアゼパムが直ちに底をついた。重篤な外傷患者は少なく創傷の混合感染が多かった。診療開始後4日目にかけて急増したのは災害統計上、「その他」に分類されていた眼、耳などの疾患で皮膚疾患も急増し、生活環境の悪化に起因、予防により回避できる疾患と判断された。
このためペットボトルで飲料水用に配られていた水の積極的使用と給水タンクの必要性を保健省に伝えた。被災地自治体が崩壊状態であったため、保健サービスを支援することを決め現地語で書かれたイラストからも理解できる公衆衛生上の10項目の注意をチラシにし配布した。薬局では手洗い、うがい、虫除け指導をし、トイレ担当の調整員がユニセフ式浸透型簡易トイレを設計、資材調達、予算額まで算出し保健省に提示し短期間に着工に及んだ。その他ビタミン剤鉄剤等による妊婦への栄養補給、母乳推進、テント住居周辺の清掃、消毒など診療と共に周辺被災民に裨益する様々な緊急公衆衛生サービスを展開した。救急医療から被災民保健医療へ転じた活動を行い帰国した。
発生時刻 | 平成18年5月27日(土)午前5時53分(日本時間 午前7時53分) |
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震度 | マグニチュード6.3 |
震源 | ジョグジャカルタ特別州 南西沖37.2km 深さ35km |
余震 | 5月28日夜までに、ジャワ中部地域で計513回 |
JICA(国際協力機構)内・JDR(国際緊急援助隊)事務局は、医師2名、看護師2名、事務局2名計6名による調査チームの派遣を決定しました。5月29日12時に国際緊急援助隊・医療チーム本隊団長1名、医師2名、看護師5名、薬剤師1名、放射線技師1名、検査技師1名、医療調査員3名、事務局3名計17名がジャカルタに向け出発。同日17時ジャカルタに到着し、在日本大使館、在JICA事務局の担当者から情報収集。被害状況や被災国の文化、活動中の注意点などについて情報を得た。翌30日8時にジャカルタを出発。10時ジョグジャカルタに到着。陸路にて最大の被害が報告されていたバントール県に入り、調査チームが救援要請を受け、診療所を立ち上げたムハマディアイスラム病院前に到着、直ちに本格的な活動を開始しました。
今回、ムハマディア病院では、医療の供給と需要の不均衡が顕著に認められ、100床の病院に300名以上の患者が入院し、廊下や病院前のテントに患者や付き添いの家族があふれており、より多くの患者に医療サービスが提供できるように医療側の負担を軽減する必要があるとの判断から、病院前の路上に診療所の設営を行い、診療を継続しながら十字テント、レントゲン用のテントなどを立ち上げ、診療所の設営を行いました。
5月31日より本格的な診療活動を展開し、連日100名前後の患者を診察しました。
JDRに受診する患者にはムハマディアイスラム病院に入院している患者も含まれていた。その中には、脊髄損傷によって臥床安静が必要な患者や骨折、皮膚欠損を伴う創傷患者など今後、手術が必要となる患者なども含まれ、すでに褥創形成をしている患者も存在した。
実際には、受付から出口に至るまでの間に関わった看護師同士の情報交換を密に行い診察室や薬局前で被災者の思いを引き出して訴えを傾聴することや脊髄損傷患者の清潔援助の実施、合併症予防やリハビリ指導などを実施。
活動終了にあたっては、ムハマディアイスラム病院やヘルスセンターなどの回復状況をモニタリングし、二次隊派遣のニーズがないことを確認して6月8日撤収となりました。